気温は今日も三七度だった。これで三日連続の猛暑日になる。

 勤めている会社を出たのは夕方の六時だった。まだ陽は高く、西日が顔に照りつける。

それまでクーラーで冷やされた体が、まず顔面から急速に温められていく。そして体全体に熱は回り、すぐに汗がにじみ出てくる。孝志は額の汗をハンカチで拭いながら、急ぎ足で地下道に入った。

 夏の暑さにはウンザリするが、いいこともあった。この暑さがあるからこそ生ビールが旨いのだ。孝志は、いつも帰りに寄る焼鳥屋に飛び込んだ。

「生中! 冷や奴!」

 早く持ってこいと言わんばかりの注文に、顔なじみの店員が、即座に「はい! 生中に冷や奴!」と応えた。あとはカウンターのいつもの席に座って、おしぼりで顔を拭いながら、ビールが来るのを待てばいいのだ。待つほどのことはない。すぐに来る。

「はい! 生中!」

冷えたジョッキのとってを握り、琥珀色の液体の上の、雪のような泡に口をつける。

ジョッキを傾ける。

冷たいビールが口から喉に流れ込んでいく。

この瞬間がたまらない。

ごくんごくんと一気に飲んでから「クーッ!」と小さな雄叫びをあげる。

しばらく余韻に浸るようにビールのジョッキを見つめる。冷たいジョッキは回りの水蒸気を結露させている。これを見るだけで涼しくなる。

ジョッキにまた口をつける。

ビールを流し込む。

またクーッ!と言ってから今度は、たまらないといった感じで目を閉じて顔を振る。そして、「はあー!」と息を吐く。それでとりあえず一息つくことになる。

「今日も暑かったねえ」

 ニコニコしながら店員のおばさんが話しかけてくる。

「ああ、暑かったよ」

 と答えるものの、孝志が暑かったのは会社からこの焼鳥屋までのほんの二〇〇メートルぐらいだった。昼間の仕事は全て事務所の中。冷房は充分に効いているから暑さとは無縁の世界だ。だから「暑かったねえ」と話しかけられると、なんだか申し訳ないような気になる。そう思うのは、地下道にあるこの焼鳥屋には、付近で働くサラリーマンが仕事帰りに続々と来るのだが、皆、外回りをしたのか体中汗まみれで、ワイシャツのボタンを外して、お絞りで首筋から胸まで拭いながら、ビールを飲んでいるのだ。それに比べて孝志は、会社からほんのちょっとだけ歩いただけだった。それで『暑い暑い』などと言うのは、ちょっとばかり気が引ける。

 だが、気が引けても、ビールの味は変わらない。旨い。孝志はたちまちのうちに生中を飲み干した。冷や奴はまだきていない。

「はい! 冷や奴お待ちどうさま! あらっ……ビール追加ね?」

「もちろん!」

 そう答えてから、割り箸を割り、冷や奴にたっぷりと醤油を垂らす。摺り下ろしたショウガの香りがプ〜ンと匂う。

箸で豆腐を一口サイズに割る。

柔らかく挟む。

薬味のネギと一緒に口の中に……。

やっぱり旨い! 

豆腐が一番! 最高! 

と、いつものように心の中で呟く。

やがてビールが来る。飲む。ビールも旨い! 豆腐も旨い!

 

 携帯電話が鳴った。

この至福の時間に、今まで電話などかかってきたことはない。孝志は慌てて電話をポケットから出した。

田舎の母からだった。

 父が倒れた。

母の話では、急に頭痛を訴え救急車で病院に運んだらしい。絶対安静の重態だった。

 

 東京から徳島へは、羽田から飛行機で約一時間だった。一日六便あるが、平日は空席が多かった。だから航空券もすぐにとれた。朝一番の便だ。

この日は金曜日だったので、会社は休んで日曜日まで徳島にいるつもりだった。急なことなので妻は都合がつかなかった。

徳島空港は海岸沿いにある。最近、月見が浜というきれいな海岸を埋め立てて滑走路を延ばしたらしい。だからジャンボジェット機も来られるとか。とはいっても、空席が多い状態だから就航させる必要はないようだ。

孝志の実家である工藤家は、空港からタクシーで三十分もかからない、四国三郎と呼ばれる吉野川沿いに広がる田園地帯の中にあった。

その家は昔ながらの入母屋造りで、家の建坪だけでも六十坪はあった。その上専業農家のため、広い鉄骨造りの納屋があり、その中にはトラクターやらコンバインやら大型の農機具が入っている。父は二、三日前まで、この機械を使って田や畑で働いていたのだ。

父が入院している病院も同じ町にあった。まずは病院に行く。とにかく父の様子を見なければ。

父のいる集中治療室は病院の三階にあり、中に入るために、手を消毒してマスクをつけなければならない。孝志は父が大変なことになっていることを実感した。

昨日父が倒れてから、ずっと病院にいた母に代わって、孝志の妹が病院に詰めていた。患者の急変に備えて、身内の誰かが常にそばにいるよう病院から指示されていたのだ。

小学校の教員をしている妹は、同じ教員と結婚して、父や母が住む町の隣にある徳島市に住んでいた。旧家の長男の家に嫁いだ妹は、夫の父や母と一緒に暮らしている。

その妹と顔を合わすのは二年? いや三年ぶりぐらいだったか。兄妹とはいえ、孝志が東京の大学に進学してから離ればなれになり、もう三十年になる。しかしそれでも逢えば、やはり兄妹だ。

「お兄ちゃんお帰りなさい」

「ああ恵子……。父さんの具合は?」

「見ての通り眠ったまま」

 父は酸素マスクをつけてベッドに横たわっていた。孝志は父の顔をのぞき込んだ。呼吸をしているのは分かったが、体はまるで動く気配はない。なにやらもう植物状態に見えた。

「お兄ちゃん……」

 恵子が目配せで外に出るように促した。いくら眠ったままとはいえ、父の前では言えない何か大事な話があるのだろう。

 病室から出た廊下には、誰も座っていない長椅子があった。朝早くからの行程で、疲れ気味の孝志はドカッと腰を下ろした。

「恵子、すまないな。俺が傍にいないからお前にばかり負担をかけて……」

 孝志は妹に何よりそれが言いたかった。本来なら長男である自分が、父や母の面倒を見なければならない。そう思っていた。だが、孝志の生活の拠点は東京だった。父や母のことや、家のことを何かしようと思っても、できるはずもない。

幸い父も母もまだまだ元気だった。だから別に問題はなかった。しかし、確実に、年々、父と母は老いていく。いつか二人だけではやれない時が来る。その時はどうしよう。孝志はずっと考えていた。もちろんいい考えは浮かばなかった。そして、遂に父が倒れた。

「あのね、お兄ちゃん……」

 恵子が深刻な顔になった。

「お父さん、脳に腫瘍があるんだって。だからもう助からない……」

 恵子の顔が曇りだし、そのまま手で顔を覆った。

「そんな……」

孝志の顔も曇った。

 

 それから三日後に父は息をひきとった。七二歳。まだ死ぬには若すぎる年齢だった。そして孝志にしても、父の死はあまりに突然すぎるものだった。

 だが、あれこれ考える間がないほど、慌ただしい一週間があっという間にすぎた。東京から急ぎ駆けつけた孝志の妻や娘は、葬儀が終わるとすぐに帰った。妻は勤め先の銀行が忙しく、娘は高校に通いはじめた。

 幸い、父が亡くなっても母は気丈だった。葬儀にしても、その後始末にしても母が全てを仕切った。全部終わった後、ポキッと折れるように倒れるのではと、心配するほどだった。だがそんな気配は微塵もなかった。

「孝志、お前いつまでこっちにいられるんだ?」

 後片づけが一段落し、茶の間で親子三人寛いでいる時に母が聞いてきた。

「日曜にはもどるつもりだよ」

 今日は金曜日だった。父が亡くなったので一週間の休暇がとれた。明日からの土日もこちらにいられる。

 孝志は警備会社に勤めていた。警備会社としては日本最大手で、孝志はその会社の警備システムを開発する課の課長だった。ちょうど父が倒れる一週間前に大きな仕事を終わらせていた。だから今はそう忙しくもない、どちらかと言えば、ゆっくりとできる時期でもあった。

「分かってるとは思うけど、この家の跡取りはお前だから……」

 母はそこで口ごもった。

 今時、長男だから跡をとるなどと、古くさい考えだと孝志は思っていた。ほんとは誰が跡をとってもいいのだが、妹の恵子は、実家の財産を分けて欲しいなどという気はさらさらない。なにしろ、恵子の嫁ぎ先は、管理しきれないほどの土地を持っている。恵子の言い分は、

「私は何もいらないからね。ウンザリするほどの財産を夫が継ぐから」だった。

知らないものが聞くと、随分と豪勢な話だが、孝志や恵子からすれば、ふーっとため息が出るような財産を受け継ぐことになるのだ。

 東京で安定した仕事についている孝志にしても、徳島の実家の財産を受け継ぐのは、嬉しいことではなかった。

孝志がそう思っていることを母は分かっていた。だから母は口ごもったのだ。

「ああ、分かってる。これからしばらくは、ちょこちょこ帰るつもりだよ」

 この家や財産をどうするか、すぐに決められるはずもない。そもそも父や母が家や土地を含めて、どんな財産を残しているのか、それすら把握していなかった。だから、これからじっくりと実家の財産を分析し、そして、先のことを考ようと孝志は思っていた。

「そうかい。でも、しょっちゅう帰るとなると飛行機代だって大変だから、この次は父さんの四十九日の法要に帰ってくればいいよ」

 母は気丈にそう言うが孝志は心配だった。父が亡くなった後、今でこそ孝志と恵子がいるが、二人がいなくなり、この大きな家に母一人で暮らすとなるとやはり心配だった。

 そんな孝志の心配を母は察したのか、

「心配ないよ。母さん一人でも大丈夫だから」

「でも母さん、田んぼや畑はどうする? まさか母さん一人じゃできないだろ?」

 専業農家のこの家は、水田が二町歩と畑が五反あった。水田には全て稲が植えられていて、もう稲穂がでていた。畑には茄子が植えてあった。こちらの方は一反の畑だけで、収穫の時期もほぼ終わったようだ。

「畑のナスはもう終わりだから。稲は近所の人に頼んで刈って貰うことにした。だから、とりあえずは大丈夫だよ」

「近所の人に頼んだって? 稲を刈って貰えるの?」

「ああ、もう頼んであるよ」

 実は、孝志が当面心配していたのは、父が植えている稲やナスのことだった。ナスはもう終わっているにしても、稲はこれから実ってくる。そして稲刈りの時期になるのだ。まさか稲穂が実ったまま、刈り取りもしないで放っておくわけにもいかない。とはいっても孝志自身が東京から帰って、乗ったこともないコンバインで、稲を刈ることなどできるはずもない。誰か頼める人はいないか、こちらにいる同級生にでも頼んでみるか、などと思案していたのだ。だが、もう母がしっかり段取りしていた。孝志はホッとした。

「孝志、母さん大丈夫だから。今はお前の方が仕事や子育てで大変なんだから。自分のことを優先しなさい」

 母は、自分より息子や孫の心配をしている。孝志には母が頼もしく見えた。

 しかしそうはいっても、母とていつまでもしっかりしているわけではない。母は六八歳だ。確かに今は元気だが、急速に、あるいは突然、衰えることだってある。だからそうなる前に、これから先のことを考え、その準備をしておかなければならない。それは、父が亡くなる前から考えていたことだった。いつかは自分が父や母の面倒を見、この家も引き継がなければならないからだ。もう先延ばしはできない。何をどうするか、できるだけ早く決めよう。孝志はそう決意した。

 

 十日ぶりに帰った東京は涼しくなっていた。

 猛暑日が連続した八月が終わり、明日からカレンダーは九月になる。

 久しぶりに出社した孝志は、葬儀に徳島まで来てくれた重役や同僚に、お礼かたがた挨拶回りをした。

「君の実家、豪邸だったねえ。土地だって広いし、資産家なんだ」

 葬儀を家で行ったものだから、家を見たもの皆が驚いていた。入母屋造りの民家は、都会ではほとんど見られない。都会にある入母屋造りの建物は、神社やお寺ぐらいだったからだ。しかし田舎では、民家でも普通に入母屋づくりで、特に農家では多かった。孝志の家は、孝志が中学生だったころ建てられたが、その前に建っていた家も入母屋造りだった。だが、都会の人から見れば、屋根が複雑に組み合わさった入母屋造りの家は、豪奢な邸宅に見えるのかもしれない。

「屋敷の土地いくらぐらいあるの?」

 土地の広さにも驚いていた。確かに都会ではいくら広くても、家の敷地に多少なり庭か駐車スペースがある程度だ。そんな家で住む都会の人が、孝志の実家を訪れたら、驚くのは当たり前かもしれない。なにしろ、家の敷地面積だけでも五〇坪はあって、その回りには、ゆったりとしたスペースで木が植えられていて、家の西側には、これも入母屋造りの本宅よりも大きな納屋が建てられており、さらに、家の前は車が十台は駐められて、その前には大きな庭石を配した庭園があって、形の良い松が門かぶりになっているのだ。これだけでも相当な広さで、坪数でいうなら四百坪はある。

だが、葬儀に来てくれた会社の人たちが知ったら、もっと驚くに違いない。実は屋敷の周囲にある畑や田も、全て孝志の家のものだった。周囲の田や畑を合わせると千五百坪になる。

「あの家とか財産、君が相続するの? 羨ましいなあ」

 孝志は苦笑いするしかなかった。都会の人はたいてい羨ましがるが、実は全く逆だった。孝志にしてみれば、何の財産も相続しない人たちが羨ましかった。都会に住む人たちのほとんどは、田舎にある財産の価値を知らないのだ。

 

 長い間休んでいたが、仕事はそんなにたまってはいなかった。上役や部下が気を遣ってくれたこともあるが、何より大きな理由は孝志がやがて開発部の部長に昇進するからだ。孝志のこれまでの功績が認められたのだ。やがて部長になる孝志に、細かいデスクワークなど、もうほとんどなくなっていた。これからは開発部全体を掌握し、重要な判断を自らが下す。それが仕事になる。孝志にすればちょっと物足りない楽な役回りだった。だが、なんにせよ、東京での孝志は順風満帆だった。

 

 都心から電車で二〇分ほどのところにあるマンションに孝志は住んでいた。ちょうどバブルが弾けた頃に、それまでなら手が出なかった物件を安く買った。安いとはいっても、孝志一人だけのサラリーなら少々きついが、銀行に勤めている妻も相当な収入がある。共働きだからこそ買えた物件だった。

 それに、マンションを買ったのは、そこに住むだけではなく投資の意味もあった。いずれは売り払うつもりだったのだ。何しろ底値とも言える安さで買っている。バブル景気が弾けた直後は、マンションや土地は本来の価値を大きく割る相場になっていた。それを狙ったのだ。いずれは景気も回復してマンションの相場は上がる。たとえ年数が経って値打ちが下がっても、買った時の相場で売れる可能性もある。そうなれば御の字だ。そして、それを考えたのは孝志の妻だった。

 孝志の妻、千明は大手銀行に勤めるキャリアウーマンだった。そして今や、女性では珍しい支店長になっていた。それだけに忙しく、毎晩帰るのは遅かった。とはいっても、子供がいることもあって、休まなければならない日や、週末はきちんと休む。そんなメリハリはつけていた。

 孝志と千明の間には娘がいた。名前は未華子。高校三年生だった。来春早々に大学受験を控え、猛勉強中だった。私立の超難関大学をめざしている。

 久しぶりに、いつもの焼鳥屋に寄りたいのを、グッとこらえた孝志は、まだ明るいうちに家に帰り着いた。もう未華子は高校から帰って、勉強中だった。

 父が、珍しく早く帰ったことに驚いた未華子が、

「あれえ、どうしたの?」

 と、部屋から出て来た。

「ただいま。お父さん今日からしばらく、帰りのビールはやめる。家でやることがあるんだ」

「なあに?」

 未華子の首をかしげる仕草が可愛い。孝志はこれを見ると幸福な気持ちになる。

「お祖父ちゃん亡くなっただろ。その関係で」

「ふ〜ん。ねえ、今日晩ご飯どうするの?」

「そうだな。お母さん今日も遅いって言ってたから、外で何か食べようか?」

「じゃあ私、中華がいい」

「わかった」

 その返事を聞いてから未華子は部屋にもどった。

 孝志は普段着に着替えてから、自宅にあるデスクの前に座った。

 実家から、町役場から来ている固定資産税納税通知書を持ち帰っている。これを見れば実家の固定資産が詳しく分かる。

 実家の持っている土地がどこにどれぐらいあるか、実のところ孝志は詳しく知らなかった。何しろ一八歳で大学進学のため東京に来ているのだ。それからずーっと東京にいる。詳しく知るはずもないのだ。

 実家の持っている土地で一番広いのは“山”だった。土地の分類上「山林」となっている。

あまり知られていないが、土地は用途によって分類されている。これを「地目」という。その地目によって、資産としての評価額も変わり、固定資産税の税額も決まる。

例えば農地だと「田」と「畑」がある。山は「山林」、野原のような土地は「原野」といった具合だ。それぞれの評価額は、地域・場所などによって違ってくる。荒っぽい言い方だが、都市部に近いほど評価額は上がり、辺鄙な田舎ほど下がる。幸か不幸か徳島は都市部とはいえない。

この評価額はそれぞれの市町村が決めるのだ。要するに固定資産税をとるために決めている。と言っても過言ではない。

地目別で、もっとも評価額が高くなるのは、「宅地」で、これは平たく言えば「家」を建てられる土地である。ただし固定資産税も高くなる。

逆にやっかいなのが「田」や「畑」などの農地だ。農地は農業以外の目的では使えないのだ。だからいくら農地を持っていても、そこには家も建てられない。駐車場にすることもできない。さらに、農地を売るとしても、買い手が農業をしていなければ売れない。そんな制約がさまざまあって、それに違反すると「農地法違反」で厳しく罰せられるのだ。

農地を、宅地や他の地目に変更する場合には、自治体の農業委員会に申請しなければならない。だが申請しても簡単に許可されない。農地を何にでも使えるように許可していたら、地域の農地が少なくなる。これは食糧生産の減少にもつながるし、農村地帯での環境変化にもつながる。だから、よほど妥当な理由がなければ、農地はずっと農地として使うしかない。そのかわりと言っては何だが、宅地に比べて評価額も低く固定資産税も安くなる。

山林の評価額はもっと低い。孝志の実家が持っている山は、家から三キロほど離れた讃岐山脈にあった。昔から持っている“山”らしいが、孝志はどこからどこまでが家の山なのか知らなかった。

その山の面積は、約五〇万平方メートルで、雑木が生えているだけの原生林の山だった。とはいっても、五〇万平方メートルの広さは、よく言われる東京ドームなら十個分の広さで、これを聞いただけで都会の人はビックリする。ところが、この山の評価額はたったの一〇五〇万円だ。なんと一平方メートルあたり二十一円の価値しかない。

ちなみに、この金額で売りに出しても買い手はない。買い手どころか、ただで上げるといっても、もらい手があるかどうか……。

冗談ではなく本気で、

『貰ってくれるなら、ただで喜んであげる』と、思っている山の地主はいくらでもいる。なにしろ、役にたたない、使いようのない土地なのに、しっかりと固定資産税はとられるのだ。孝志の家の場合、「山林」の固定資産税は年に十四万七千円だ。つまり、山を持っているだけで、税金一万二千円を毎月払っていることになる。毎月だ。

孝志の場合、この山を相続すると、東京から徳島の実家のある町役場に、税金を支払いつづけることになるのだ。山の所有権を得ると同時に、固定資産税の支払い義務も生じる。

「田」は約二万平方メートルある。

今まではこの田で米を作っていたが、父が亡くなったので、もう作る者はいない。そうなると全く無用の土地どころか、やっかいな財産になってしまう。坪数で言うなら六千坪もあるのに。

実家の田の評価額の合計は二百二十四万円だ。二万平米の土地の価値が二百二十四万円なのだ。初めて聞いた時には安くて驚いたが、この金額が高くなればなるほど固定資産税が高くなる。だから評価額は安いほどいいのだ。

しかし、田は山林と違って平地にある。ちょっとだけ埋め立てれば「宅地」になる。ところが「田」という地目で登記されている以上、絶対に「宅地」として使うことはできない。仮に「田」を埋め立ててその上に家を建てると、農地法違反になり、建てた家を撤去させられることになるのだ。自分の土地であっても家も建てられない。それほど厳しい。

それゆえに、田をいくら持っていても、米を作らないでは、何の価値もない土地になってしまう。孝志が田を相続すれば必ずそうなり、さらに固定資産税の納税義務を背負わなければならない。だが、幸いなことに評価額が安いため、固定資産税も安い。二万平米の田の固定資産税は三万千四百円だった。

一年に三万円少々なら、ご先祖様から引き継いだものだから『まあしかたないか』と、孝志も考えたが、そうではなかった。田には固定資産税以外の大きな費用が毎年必要だった。孝志はその計算をしてみることにした。

 未華子の声がした。

「お父さん! お腹すいたよ!」

 忘れていた。外へ食べに行くことになっていた。

 

 未華子と連れだって歩くのは久しぶりだった。父が亡くなったことで、家を空けていたのもあったが、やはり高校生ともなると、男親と一緒に出かけるなど、そんなにあろうはずもない。孝志は何だか嬉しかった。かといって、あまりベタベタすると嫌われる。

「勉強どうだ?」

「どうって……何が?」

 話しかけてもかみ合わない。

「その、なんだ……大学、希望通りに行けそうか?」

「ああ、そういうことね。うん。今のまま順調ならね」

「そうか。良かった」

 娘が希望する大学に進学できるってことは、つまり東京にいるということだ。ということは自分のそばにいてくれる。孝志はそれが嬉しかった。

 小さくて細身の体のわりには、未華子はよく食べる。孝志はそれを見ているだけで幸せな気分になる。

 中華料理店からの帰り道で孝志は考えた。

 父の財産を自分が相続すると、あの徳島の家や田や山や畑は、自分なき後、未華子が相続することになる。それが何年後かは分からないが、確実に間違いなく、未華子は自分のたった一人しかいない相続人として、遠く離れた田舎の地主になってしまう。孝志はそれがいいこととは絶対に思えなかった。むしろ、それだけは避けなければならない。そう思った。価値のない財産を相続すれば、その財産の管理義務も背負うことになる。可愛い娘に、重荷を背負わせたい親などいるはずがない。

 

 帰ってからすぐにデスクに戻った。さっきの続きを調べて計算して見たかった。

 「田」は、米を作らないでそのままにしておくと、雑草が生えてくる。生えるなどと生やさしいものではない。田を夏の間放置しておくと、人の背丈ほどに雑草が生い茂る。これをそのままにしておくことはできない。雑草は害虫の住処となり、付近の田の稲を食い荒らすのだ。

 付近に田がなくても、雑草が冬になり枯れてくると、煙草を投げ入れただけで火が点く。そうなると、背丈ほどになっている雑草は、大きな炎を舞い上がらせ、火事のような騒ぎになる。付近に家があれば危険この上ない。

 田の雑草は、そんな様々な“害”を及ぼすため、ほとんどの地方自治体が条例を作っている。条例とは自治体が作った法律のようなもので、条例違反をすれば罰せられることもある。

 通称「雑草防止条例」。地域によって名前が違うが、実家のある町は「雑草等の除去に関する条例」となっている。

 この条例によって、雑草が生えて、ほったらかしにしている土地の地主に、役所は「雑草の除去に関し、必要な措置を講ずるよう指導し、又は勧告する」のだ。当然、東京にいても地元の役所から電話がかかってくる。放っておいてもこの条例には罰則規定はないが、たびたび電話がかかってきたり、「雑草を除去せよ」と言う勧告書が送られてくると、無視できるものではない。結局、雑草を刈り取らなければならない。その費用がバカにならないほどかかる。

 まさか、孝志自身が田の雑草を刈り取るために東京から徳島まで帰ることなどできない。だから地元の人に頼むしかない。幸いシルバー人材センターという、まだまだ元気な高齢者集団が草刈りを請け負ってくれる。その費用は田や畑一反につき、一反とは約一〇〇〇平方メートルだ。一万円ぐらいとのこと。これは父の葬儀を手伝ってくれた近所の人から聞いていた。

 そうすると、田の雑草を年に一回刈り取ると二〇万円かかることになる。田だけではない、畑もだから、年に二五万円かかる。年に一回ですむかどうかは分からない。二回なら大変なことになる。

田や畑の固定資産税は安いが、管理費用が高くつくのだ。

 米を作らない田には、まだ支払わなければならない費用があった。用水費だ。何とも合点がいかない。米を作らないのだから、田に引く水はいらない。だから用水費は払わないでいいと思ったら、そうではなかった。田がある限り払う義務があるそうだ。なんでも、『そこに田があるから、水が入れられるように用水のパイプを引いてある』とのこと。だから支払う義務があるという。一反あたり平均で年額三四〇〇円。うちの場合二町歩あるから、合計六八〇〇〇円。これを毎年支払わなければならない。

 まだ途中だが、孝志はここまで調べた結果をまとめてみた。実家の財産を相続した場合に、支払わなければならない固定資産税や田畑の管理費などを。

 

固定資産税

 山林  一四七〇〇〇円

 田    三一四〇〇円

 畑     三七四六円

 宅地   六七〇〇〇円

 家屋   九七〇〇〇円

 

田畑の草刈り費用    二五〇〇〇〇円

用水費          六八〇〇〇円

 

ここまでの合計  六十六万四千百二十三円。

 月ごとに支払うとしたら、毎月五万五千円になる。そしたら、なんだか家のローンみたいだ。孝志はゾッとした。

 

 十月半ばにまとまった休暇を取った。とはいっても五日間。これで前後の土日を入れて九日間休める。孝志は、十月一日付で開発部部長に昇進していた。だから休暇は自身の裁量で自由にとることができる。

長い休暇を取ったのは、父の四十九日の法要があるのと、実家のこれからのことを母や妹に相談するためだ。

 これから先どうするか、半年か一年かけて考えようと思っていたが、そんなにかけないでも孝志の考えは固まった。

 実家の、父や母が持っている財産は全て把握できた。土地や建物の固定資産だけではない、父が残してくれた財産には現金もあれば預金もある。

 そして、“実家”がある限り、必要な経費も全て算出した。固定資産税だけではない。家がある限り様々な費用が発生する。

 これら全部を含めて、これから先、実家の土地や家、そして母のことをどうするか考えなければならない。

孝志はいくつかシミュレーションしてみた。

はなから採用できない案も、一応シミュレーションしてみた。念のために。

三つの案を考えた。

まず、

【第一案】

 家や屋敷、田や畑を直ちに売却する。売却できたらすぐ母を東京に引き取る。

 実は、こうできれば一番いいのだ。一番いいのだが、まず売れないことも分かっている。

しかし、しかしだ、ひょっとしたら、ひょっとして、売れるかもしれない。

もしも売れるんだったら、どんなに安くても構わない。そりゃあ高い方がいいに決まってるけど、そんなことあろうはずはないけど、欲は捨てて、安くても構わない。誰かが土地や屋敷を引き取ってくれればいいのだ。

 孝志は、会社とつながりのある不動産会社に相談してみた。孝志が部長だからか、熱心に相談に乗ってくれた。

 

不動産会社営業部長

「田や畑は買い手一人に売り手千人と思ってください。

今農地は耕作放棄地といって、何も作らないというか、作れない農地が広がっています。もともと米作りは、元が取れない赤字覚悟でやっていますし、農業をやっておられる方が高齢化していて、もうできなくなっているんです。これが地方では社会問題になっているほどです。

家や屋敷ですがこれもまず売れません。地方では空き家が急速に増えています。何せ、高齢化が進んでいます。亡くなってしまわれたら、その家が空き家になるんです。家や宅地は余っていますし、工藤さんの家は、失礼ながら若者向きではないでしょう。古い家が、売れる可能性はまずないと考えてください。

それより、家を壊して屋敷の土地を分譲地にしてみては如何でしょうか? お宅の場合四百坪ありますから、六区画はとれるでしょう。それなら売れる可能性はありますよ。ただしその場合、家の解体費から敷地の整地費用。それに水道管と下水道管の埋設費用。あと排水路と敷地内道路の工事費用を負担して頂くことになります。約八百万ほどでしょうか。でも全部売れたら充分元は取れます。

はあ? 

はあ……う〜ん……

そうですね、全部売れるのに何年もかかるかも知れませんし、売れないこともあります。もちろんその場合、売れない土地の税金は負担しなければなりません。

……えっ?

そりゃあ工藤さんが……」

 長いこと話を聞かされたが、話にならん、話だった。

 分かっていたこととはいえ、田舎の土地が、いかに値打ちがなくなっているかが、身にしみてわかった。

 念のため同級生だった田舎の友人に聞いてみた。

「田んぼや畑が売れるかって? アホ言うな、そんなもん売れるかいな。あのな怒らんと聞けよ。田んぼとか畑とか、ただで貰ってくれいうても、もらい手はおらんぞ」

 けんもほろろだった。聞くんじゃなかった。そう孝志は思った。

 この案は予想どおり、あっさりと消えた。

 

【第二案】

 家と屋敷を残して、山林と田、畑の502fを地元の町に寄附する。そして、できれば亡くなった父宛に感謝状を出して貰って、父の仏壇に供える。

 母が元気なのだから、家・屋敷は当然そのままにしておかなければならない。しかし、他の土地はいらない。このさいだから、売っていくらかにしようなどとケチなことは考えず、ここはひとつタダでど〜んと地元の町に寄附しようという考えだ。

見返りなど一切要求しないが、長年父が守ってきた財産だから、父に対して形だけでいいから、感謝状みたいなものを貰えれば、これは有難くいただいて、父の仏壇に供えたい。

山は、森林公園にでもなんにでもして頂いて、田畑は、町のものになるんだから、農業委員会が何にでも使える土地に変えて、町民グランドなり、テニスコートなりどうぞご自由に使って頂ければ、これはもう、地元の皆さん喜ぶこと間違いなし。うちも助かって喜ぶこと間違いなし。

 

とりあえず町役場に寄附を匂わせてみた。

東京から電話で、町役場総務課の管財係に。いきなり町長でもいいけど、まあそれは母や妹の承諾をとってからにしよう。そう思った。

「町に寄附したいのですが」

「それは、ありがたいお話ですが、何を寄附して頂けるのでしょうか?」

「土地です」

「土地?」

「はい。土地といっても半端じゃないです。約500fという広さです」

「えー!」

 驚いている、驚いている。あまりの広さに驚いている。そう思った。町役場の職員が興奮している。そんな光景が頭に浮かんだ。

「いや……あのう……原則的に土地の寄附はお断りしています」

「はあ?」

「ですから、土地の寄附は普通お断りしているんですよ」

「えっー! そう……なんですか……。でも、どうして?」

「町といたしましても、町有地を抱えますとそれを管理する必要がございます。その費用もかかりますので、必要のない土地を新たに所有することはできかねます。申し訳ございません」

「そうなの。そうなんだ……」

「はい。申し訳ございません」

 顔から火が出るほど恥ずかしかった。電話で良かった。名前を名乗らないでよかった。

 ちなみにというか、腹立ち紛れにというか、固定資産税の徴収係に電話した。

「必要のない山や田を相続すると、税金払うのが馬鹿馬鹿しいから、町に寄附するって言ったら、いらないって言われた。固定資産税は金ではなく、土地で払う。それでもいいか?」

 そう言ってやった。

もちろん名前は名乗ってない。

「そのようなことはできません。申し訳ございません」

「そんなことはないはずだ。税金のかわりに物納したって話を聞いたことがある」

「それは、国税の場合はあるようですが、町ではありません。申し訳ございません」

「何を言っても、申し訳ございませんだな!」

「たいへん申し訳ございません」

 

 後で分かったことだが、自治体には、田や畑を寄附したいとの申し出が、かなりあるという。それもたいていが、田舎にいる親の土地を相続してしまった、都会にいる息子や娘かららしい。孝志も全く同じことをしたのだ。

 土地や建物の寄附を自治体が受ける場合もあるそうだが、その場合は、その土地や建物をつかって何かをする。という、具体的な予定がある場合に限るという。例えば道路を造るとか、広げるとかで、その土地が必要と言う場合だ。将来何かに使うために寄附を受け付けるなどということは、まずないそうだ。

 第二案は、考えたことそのものが恥ずかしい。

 

【第三案】

父名義の全ての資産を孝志が相続する。

家や田畑、山に関する固定資産税などは父が残した預金でできる限り賄う。母の面倒も孝志が責任を負う。

四の五の言っても結局はこうなるであろう。最もつまらない案だ。

 父は一二〇〇万円ほどの預金を持っていた。郵便局と農協に口座があった。

 ちなみに、父の名義の財産は土地・建物・預金としてあるが、それらを合計しても三千万円にも満たない。ということは相続税を払う必要はないと言うことだ。

 相続税の基礎控除は5000万円+1000万円×法定相続人となっている。うちの場合の法定相続人は母と恵子と自分の三人だから基礎控除は8000万円となる。つまり八千万円以上の相続でなければ、相続税を納める必要はないのだ。全然足りない。財産だ、相続だなどと大騒ぎしているが相続税がいらない程度の話なのだ。だけど、これを引き継ぐと大変な重荷になる。だから困っているのだ。

いらない土地をしかたなく受け継ぐと、ずっと税金を払い続けないといけない。東京にいるのに徳島の田舎の町役場にだ。支払い続ける固定資産税や、田畑の管理費用、それから用水費などの合計は約六十六万円だった。

 それ以外にも家がある限りそれなりの費用がいる。例えば上下水道代であるとか電気代であるとか、庭木の剪定費用とか、近所づきあいでの費用とか、諸々ある。これに父が残してくれた千二百万円を全てあてる。

 この場合の試算をした。

 固定資産税

 山林      一四七〇〇〇円

 田        三一四〇〇円

 畑         三七四六円

 宅地       六七〇〇〇円

 家屋       九七〇〇〇円

 

田畑の草刈り費用 二五〇〇〇〇円

用水費       六八〇〇〇円

 

 ここまでは前に計算した。約六十六万円だ。

 その上に、一年間の水道光熱費などが、どれだけいるか、これまでの支払い実績を調べてみた。すると、こんなにいるのか! と驚いた。

電気代        100,000円

水道代         30,000円

下水道代        30,000円

ガス代         30,000円

電話代         84,000円

ケーブルテレビ     21,600円

NHK受信料      15,000円

新聞代         36,000円

 

だが、家があって、母が住む場合には必要な費用だ。

346,600円かかる。

固定資産税などと合わせて約100万円になった。

その他にいる費用は何があるか? これが考えどころだった。例えば割り切って、ご近所への体裁も付き合いもないとしたら、そんなにかかる費用はない。ところが、母が今まで通りの近所づきあいや、いわゆる家の格を大事にするというならウンザリするほど金がいるかもしれない。そういう前提で試算してみると、

庭木の剪定費     250,000円

なにしろ植木をいっぱい植えてある。これをほったらかしにすると、それはもう屋敷全体が廃墟のようになってしまう。かといって植木をきれいさっぱり伐採することもできない。父が生前に自慢していた植木を、父が死んでしまったからといって、『金がかかるからハイ切り倒します』なんてできっこない。だから当分は、植木屋さんに頼んで手入れして貰うしかない。

近所の冠婚葬祭やら諸々

 これが田舎は大変なのだ。例えば父の葬儀には、近所だけではない、実家のある集落の全ての家から、香典を持って葬儀に来るのだ。その数四十五軒。だから、近所に何かあったら、こちらも行かなければならない。

 それ以外にも、家での法要の費用やら、祭りの時の寄附の割り当てやら、何やらかにやらで、年に二十万円は必要だ。ちなみに昨年実績は十九万五千円だった。

 他にないだろうか? あるかもしれないが、とりあえず合計すると、

 

固定資産税

 山林         147,000円

 田           31,400円

 畑            3,746円

 宅地          67,000円

 家屋          97,000円

 

田畑の草刈り費用    250,000円

用水費          68,000円

水道光熱費など

電気代        100,000円

水道代         30,000円

下水道代        30,000円

ガス代         30,000円

電話代         84,000円

ケーブルテレビ     21,600円

NHK受信料      15,000円

新聞代         36,000円

 

庭木剪定費       250,000円

近所の冠婚葬祭やら諸々 200,000円

 

合計        1,460,723円

 

 父が残してくれた千二百万円では、十年も持たない。

 だが、まだ母の生活費を計算に入れていない。

 母は国民年金を貰っている。月額五万三千円だ。

 とても生活できるような金額ではないが、これが日本のお粗末な年金制度なのだ。いったい、誰かの援助なしに、お年寄りがどうやってこの年金で暮らすというのだ。

 もっとも、母が若い頃に支払った年金の月額はなんとたったの百円だったという。これを聞いたら、う〜んん、安いのもしかたないかって気にもなる。

 なんにせよ、生活の面倒は孝志が見なければならない。

 忘れていた!

安い年金なのに、さらにここから介護保険料を天引きするという。母はまだ関係ないが、七十五歳以上になると健康保険料も天引きするとか。

 結局、母が貰う年金は月額四万九千円だそうだ。

 家に関連する経費は先に計上したから、あと、食費とか交際費とかがあればやっていけるはずだ。

母に聞いたら、食費と交際費ぐらいならそんなにいらないとのこと、

「貰っている年金と、もう少しあればいいが、それは自分の貯金をおろすから、お前は仕送りしなくていい」と言ってくれた。

 母はそうは言うが、やはり月に十万円は必要だ。そう計算しておかないと、母がかわいそうだ。

 母の生活費が十万円とすると、国民年金から四万九千円はいるので、あと51,000円。

 一年間で、51,000×12月=

612,000円

 

 また忘れてた。

母の健康保険税がいる。住民税もいる。

もういい。合わせて年間十万円ぐらいだ。

住民税は収入がないから、均等割という安い税額ですむが、健康保険税は収入が少なくても、どれだけの固定資産があるかで、保険税が決まるらしい。しかし、固定資産の名義が孝志に変わるので、とりあえず年間十万円とする。

 

 これで必要な費用を全て計上した。

 一年間で、

 先ほど計算した固定資産税やら水道光熱費やら庭木の剪定等々が、 

1,460,723円

 忘れていた健康保険税とか住民税とかが

            100,000円

 母の生活費の補助に  612,000円

 合計       2,172,323円

 

 父が残してくれた1,200万円を取り崩しても六年も持たない……。

どうしよう……。

 

 父の法要があるので、妻の千明と娘の未華子も徳島に来るのだが、孝志は一足先に徳島に帰った。家のこれから先のことを、母や妹と話し合うためだ。

 もっとも、話し合っても、選択肢は一つだ。自分が実家の財産も受け継ぐ。今はいいが、いずれは母の面倒も見る。

 妻の千明には、そうなることを帰る前に話した。

「やっぱりね……しかたないわね」

 と言って、ため息をついた。

 千明にすれば、徳島にいる妹の恵子に一縷の望みをもったのだ。しかたなく実家の財産を受け継ぐにしても、すぐ近くにいる妹ならまだしも、東京にいる夫が受ければ、ゆくゆく困ったことになるのは目に見えている。 とてもじゃないが喜んで受け取るような財産ではない。そう考えたのだ。

 だが、妹の恵子も大変だと言うことが分かった。恵子の夫婦も、受け継ぐ広大な田畑に苦しめられている。その上、夫の両親と同居しているばかりか、夫の祖母は今も健在で、そんなに遠くない将来、恵子にはずっしりと重荷がかかってくるのだ。千明はそれが分かってから、もうしかたないと思っていたようだ。

 千明と未華子は四日後に徳島に来る予定になっている。その翌日に父の法要と納骨がある。孝志は、その日までに母や恵子と、今後のことや実家のもろもろの整理をするつもりだった。

 空港からタクシーに乗り、讃岐山脈沿いに走る県道を西に向かう。途中、梨の果樹園やら蓮根の畑がかなりある。それを通り過ぎて、水田の農地が広がってきたら、実家が見えてくる。

 父が倒れた時には、田には稲が立っていたが、もう全て刈り取られていた。実家から少し離れたところにある、うちの田の稲も刈ってあった。母が頼んだ近所の人が刈ってくれたのだろう。

 母の話では、今年の米作りが終わったら納屋にある全部の農機具を処分するという。

 トラクター

 田植機

 コンバイン

 乾燥機

 噴霧器

 耕耘機

 いずれも新品ならかなり高いが、どれも父が中古品を買って、それを長いことつかっているので、もうほとんど値打ちはない。とはいっても、まだまだ使える。なにしろこの機械で、つい最近まで農業をやっていたのだから。

 そこで母は、稲を刈ってくれた近所の人に、コンバインを譲ることにしたそうだ。ちょうど持っていたコンバインが壊れて困っていたらしい。渡りに舟ということだ。

 他の機械は、農機具屋が引き取りに来るらしいが、ほとんどスクラップ同様の金額にしかならないという。

 さらに母は、家の田や畑を借りてくれる人を探していた。つまり、うちの田畑を使って、なんでもいい農作物を作ってくれれば、雑草などの管理をしなくていいからだ。その場合、貸し賃など貰わない。えっ! と、思う人もいるだろうが、田舎ではそれが当たり前なのだ。しかし、それでも借り手がいない。

貸し賃を貰わないのはもとより、田畑にかかる税金や用水費さえもこちらで出すのだ。だが、そこまでしても借りてはないのだ。つまり、農業は、特に米作りは割に合わないということだ。人の田を借りてまで作りたいと、思う人はめったにいないのだ。

ところが母は、

「うちの田は、どれも二反あって広いから作りやすい。だから借り手はあるかもしれない」

 そう言っている。そして母の言うとおり、いくつかの田で借り手が見つかりそうだという。

 さらに母は、

「どうしても、借り手のない田には、一年中水を入れておく。そしたら草は生えない」

 そんなやり方を考えていた。そういえば、空港から来る途中に、水を張った田があった。稲刈りが終わった田に水が張ってあったので、雨がたまっていると思ったが、他の田には水はなかった。草が生えないように水を張っているのだ。

 しっかりした母のおかげで、田畑の草刈りにいる費用が節約できるかもしれない。

 

 かなり遠くからでも、入母屋造りの実家は見える。県道の坂を登り切ったら、松やらヒバやら樫の木に囲まれ、どっしりとした瓦屋根が見えてくる。それがうちの家だ。

 いつも思うのだが、あの家は無駄に大きい。母や父と、そして孝志と恵子の四人があの家に住んだのは、わずか五年間だった。孝志が中学二年の時に家が建ち、高校を卒業するまでの五年間、その間だけ家族全員が家にいたのだ。孝志の祖父母は早く亡くなっていた。だから家族全員でも四人だったのだ。四人しかいないのに、あの家は一階に五部屋と二階には二部屋ある。全ての部屋が八畳以上の広さだ。それだけの広さがあるのに、今は六十八歳の母が一人で住んでいるのだ。

 これだけ大きな家に年寄りが一人で住む。別にそれは田舎では珍しいことではなかった。あちこちに一人暮らしの老人はいるし、老人夫婦だけの家もある。悲しいかな、これらの老人の家はやがて空き家にならざるをえない。

こうやって県道をタクシーで走っているだけで、明らかに人が住んでいない空き家がいくつかあった。これが年々確実に増えていくのだ。

そして、これらの空き家とその家が持っている土地が、子や孫に相続されるのだ。皆、自分が住んでいる家や土地以外に、家と土地を持つのだ。

希に、田舎の土地を相続して喜ぶ者もいる。たいてい都会に住んでいる人だ。都会では今でも地価は高い。家の建設費も高い。だから、そうそう自分の“家”が持てないのだ。都会では持てない家が、田舎の家を相続することによって、

『田舎に家と屋敷があるんだ。定年後はそっちで暮らそうと思っている』

 そう言えるようになる。それはちょっとした自慢になり、優越感にも浸れる。

 ところが、人が住まない空き家は、なぜか朽ちるのが早い。定年まで待てば、とても人が住める状態ではなくなる。そして屋敷には草や木が生い茂る。まさに廃墟と化すのだ。こうなると、自慢だった土地や家が、逆に邪魔になる。それどころか、地元の町から、『危ないので草を刈るなど、きちんと管理してほしい』と催促がくる。

これは地元の町の住民からすれば当然のことなのだ。例えば、子供が通う学校の付近に、廃墟と化した空き家があったら、危険だと誰もが思うはずだ。犯罪の拠点になりはしないか。子供が変質者に連れ込まれたりしないか。などなど考えるであろう。学校の傍でなくても、自分が住んでいる家の付近に、廃墟のような空き家があったら、どうだろう? すぐ隣だったら? 何とかして欲しいと思うはずだ。だからこそ、持ち主の管理責任が問われるのだ。

こうして、自慢だった田舎の土地や家は、やっかいな財産に変貌する。そして、『いっそのこと売ってしまおう』と考える。不動産屋に相談すると、『家がない更地なら売れるかもしれないけど、家があるままではまず買い手はいないでしょう』と言う。それじゃあと、家を壊して更地にして売ろうと思ったら、家の解体費用は坪単価三万円なので、この家なら約二百万円かかるのに、それだけかけて更地にしても、土地が二百万円で売れるかどうかも分からない。ことによったら、売れないかもしれない。それじゃあ二百万円も出して、家を解体する意味がない。どうすりゃいいの? と、もうどうにもならなくて、結局またほったらかしにして、廃墟はもっとひどい廃墟になる。また町から『管理せよ』と催促が来る。

自慢だった土地は、ただ固定資産税を払うためだけの地主になっていることになり。さらに、その廃墟が原因で何かがおこれば、管理責任を負わざるを得ない地主になっているのである。

 こんな“地主”になりたい人がいるなら、田舎にはいくらでも土地があって、ビックリするほど安く買える。いや、ことによったらタダで貰えるかもしれない。

 

 実家の庭で母が草を取っていた。庭は放っておけばすぐに草が生える。だから定期的に取らなければならない。庭が広いのも考えものなのだ。

だから最近は、庭を全部コンクリートで固めて、草が生えないようにしている家もある。ただし、これをやると夏は暑い。コンクリートが温められて夜中になっても暑い。それに見栄えも悪い。やっぱり庭は土じゃないといけない。そう母は思っているので、たぶん、ずっと草むしりから解放されないであろう。

 庭に入ってきたタクシーに気づいた母は、手を止めて腰をさするように立ち上がった。

 

 この家を継ぐことを、孝志が負担に思っていることを、母は感じ取っていた。

 さりとて、孝志以外にこの家を継ぐ者はいない。誰かが継がないでどうする。田や畑は? お墓参りや先祖供養は誰がするのか? 誰かがこの工藤家を継いで、守っていかなければならない。そうしなければ、亡くなったお父さんやご先祖様に申し訳が立たない。母はそう思っていた。

 だが、いつかは孝志に頼むにしても、自分が元気なうちは、できるだけ自分の力でこの家を守ろう。母はそう考えているようだった。

「庭の植木だけどね、今まで頼んでいた植木屋は高いから、これからはシルバーに頼もうと思っている」

 庭先で母が植木を見ながら話し出した。

「シルバーって、田の草を刈って貰うつもりだったところだっけ?」

「そう。シルバー人材センター。あそこならずっと安いし、それに、もうそんなにきれいにしなくてもいい」

 孝志は、家にかかる経費の計算書を母に送って見せてあった。見落としているものがあるかもしれないからだ。だが、母はそれを見て逆に負担に思ったのかもしれない。

 ちょっと可哀想に思ったが、孝志にすれば少々負担に思ってくれた方がよかった。今まで父がやってきたことと同じことをやれと言われても、できるはずもないのだ。それに、この先こちらに帰るつもりもない。母がいるから帰ってくるし、お墓がこちらにあるから帰ってくるが、暮らすのはこちらではなく東京だ。それなのに、この家のためにこれから先ずっと、税金だの家の管理費だの、田畑のことまで考えるのが、どれだけ煩わしいか母にも少しは分かって欲しい。そう思っていた。

 まさかとは思うが、死んだ父にせよ、母にせよ、「この家の財産の全部をお前にやる」などという恩着せがましいことを思ってはいないか。そんなことを考えたことがあった。母は少なくともそう思っていないような気がする。

だが死んだ父は、『息子に大きな家や広い土地を残せてやった』と思っているに違いない。そしてそう思うのも無理もないかもしれない。父は、そういう時代に生きてきたのだ。

『とにかく土地があれば、土地を買っておけば間違いない!』 

バブル崩壊で土地神話が消滅しても、それを簡単には受け入れられず、

『いや、やっぱり土地なら間違いない』

といった具合だ。

今、その財産を引き継いだ者が困っているのを、死んだ父が聞いても、まだ信じないだろう。

 

妹の恵子が夜になってやって来てから、孝志はこれから先のことを話し始めた。

「予定通りというか、長男だからというか、俺がこの家を継ぐとしても、こちらに帰って来るつもりはない。だからほんとうは、この家の財産を欲しいとは思ってない」

 母が大きなため息を漏らした。自分らが築いた財産を欲しくないと、息子がはっきり言っているからだ。

「父さんや母さんには申し訳ないけど、これが本音だ。だけど、誰かがここを引き継がないといけないから俺が継ぐ。この家の財産は、この屋敷以外に山と田畑、それに父さんの預金が千二百万だ。恵子にも少しは分けるべきだって母さんは言うけど、家や土地を相続したら、知ってのとおり税金やら用水費やら、管理する費用だっている。だから、父さんが残してくれた預金はその費用に使いたい。恵子それでいいか?」

「当然だと思う。私は一銭もいらないから」

 恵子はすぐにキッパリと返事をしたが、母は何か言いたいようだった。

「何? 母さん」

 孝志が促した。

「それじゃあ、恵子が可哀想だよ。それに恵子のとこのお義父さんや、お義母さんに顔向けできない」

 母が泣くように言ったのを聞いて恵子が、

「それは母さん考えすぎよ。私にすれば兄さんがこの家を引き継いでくれるだけで有難いし、申し訳ないと思っているんだから」

「だけど……」

 母はまだ納得がいかないようだった。

「たぶん、母さんは父さんの預金を恵子に分けて上げたいと思ってるんだろうけど、千二百万円と言っても、税金とかいろんな費用で十年もたてばなくなるんだぞ。それは分かってるよな」

 母には家にかかる計算書を見せてある。分かっているはずだった。

だが母は顔をあげ、孝志を見つめながら言った。

「それは分かるけど、お前はそれがなくても、この家の費用を払えるだけ稼いでいるだろう。それに千明さんだって働いているじゃないか。この家のためにお金を使うのは当たり前じゃないか」

 これが母の本音だったのだ。孝志はなんとなくそうではないかと思っていた。

「ああ、確かに同じ年代の者と比べて、俺は稼いでるし、千明も働いているから、うちの家の収入は高い。そうじゃなかったら、普通だったらお手上げだよ。だけどな母さん、この家や土地を引き継ぐのは、十年や二十年じゃない、これから先ずっとだ。俺は今四十八歳だけど、後三十年は生きている。その後もずっと、徳島のこの土地や家を引き受けるんだぞ」

「当たり前だろ! お前はこの家の跡取りなんだ! そもそも、こっちに帰らないのがおかしいんだよ! 千明さんが言うこと聞かないんだったら、別れるって言ってでも、帰ってくればいいんだよ!」

 母は、心の中に溜めていたものを、一気に吐きだすように言ってから泣き出した。

 孝志は、母が落ち着くのを待った。

 親子三人、長い沈黙が続いた。

 恵子がお茶を入れてくれた。それを皆が飲んだあと孝志が話し始めた。

「実は千明も困っているんだ」

 急に話題が孝志の妻千明のことになったので、母と恵子が孝志の方に顔を向けた。

「千明さんがどうかしたの?」

 母はさっき言ったことを後悔している。孝志にはそう見えた。

「千明の実家、群馬なんだけど、去年お父さんが亡くなっただろ、それで遺産が千明に回ってきた。」

「えっ! どうして千明さんに?」

 母がビックリして聞いた。

「どうしてって、千明は一人娘なんだぞ。知らなかったのか?」

「そんなあ……」

 母が考えていたのは自分の家のことだけだった。

「群馬の土地だけど、うちとは違って街中にある。それも駅前の商店街だ。だから固定資産税の額が違う。それが全部千明に回ってきた」

 母と恵子は、空いた口がふさがらないといった顔になっていた。

 

 

 父の法要や納骨も終わり、孝志は東京に帰っていた。

 十月下旬になると、もう朝や夕方は肌寒い。

 今日は金曜日、明日からの週末は休める。千明と二人で群馬に行く予定だ。千明の実家の整理をするためだ。娘の未華子は、ちょうど進学塾の合宿がある。だからちょうどよかった。

 

 徳島の実家の方は、ほとんど孝志の思うとおりになった。家や土地、それに父の預金にいたる全てを孝志が相続し管理する。母の経済的援助も孝志がする。ゆくゆくは孝志が母を引き取るが、母が元気なうちは徳島で暮らす。大雑把だがそんなところだ。

 

週末の金曜日。孝志は退社してからすぐに、いつもの焼鳥屋を目指した。

もう暑くはない。だから生ビールは飲まない。最近は日本酒にはまっている。コップ酒だ。考えただけで喉が鳴る。空きっ腹で飲むと、ほんとうに五臓六腑に染み渡る。あれは誇張されたものではなく、ほんとに染み渡るのだ。

「酒の冷や! それと豆腐!」

 孝志は暖簾をくぐって、顔なじみの店員と目があうなり注文した。

「豆腐は?」

「今日は湯豆腐!」

「あいよ! 湯豆腐に冷や酒一!」

カウンターのいつもの席に座る。 おしぼりで手を拭う。

「はい! 冷や酒お待ちいー!」

 焼鳥屋の冷や酒は、酒が表面張力でコップの中で盛り上がっている。酒がこぼれてもいいようにコップを皿に載せて持って来る。

孝志は、カウンターに置かれたコップに、口を近づけて酒を啜る。もう大丈夫。コップを手にとってもこぼれない。

今度は手にとってグッと一口飲む。

酒の香りが口いっぱいに広がり、そして喉に流れ込む。その瞬間、口から喉へと酒が染みわたる。酒が胃の中に流れ込むと、後を追うように喉から食道、そして腹へと火がついたように燃える。この感覚がしばらく続く、これが何とも言えない。しばらく目を閉じて、燃える感覚を楽しむ。酒は体の中で燃えて染み渡るのだ。

一口目の酒が体に染み渡ってから、二口目を飲む。今度は、一口目の時に染み渡ってないところを酒が勝手に探して染み渡る。

こうして、五臓六腑全体に酒が回ったら、後はゆっくりと飲む。グッとじゃなく、ちびりちびりと味を確かめるように。こうなる頃に湯豆腐がくる。

 

孝志は明日行くことになっている千明の実家のことを考えた。

徳島の広い山や、田畑も困りものだが、群馬の千明の実家の財産はもっと困る財産だった。孝志の父のように預金という優良資産は全くない。あるのは土地と屋敷だけだ。その土地は、群馬北部の小さな町の駅前商店街にある。孝志の実家と違って町の真ん中にあるのだ。

駅前商店街というからには、さぞかし賑やかな所かと思われるがとんでもない。商店街は寒々としたシャッター通りで、夜は人っ子一人通らない、まるで幽霊でも出そうな薄気味の悪い通りになってしまうのだ。

そんなところに千明の実家はあって、実家の屋敷の土地だけでなく、その通りに面した土地を持っている。

かつて、大手スーパーに貸してあった土地約七〇〇坪。もちろん今はスーパーなどない。

衣料品店に貸していた土地約六〇坪。

このあたりで唯一の映画館があった土地約一〇〇坪。

商店街のために駐車場にしていた土地約二〇〇坪。今はただの空き地だ。

実家がある土地と合わせて、約一二〇〇坪の土地を千明が相続したのだ。

土地の広さだけなら孝志が相続した徳島の土地の一〇〇分の一にも満たないが、固定資産税は徳島の土地の約七倍の二四〇万円になる。評価額が高いからだ。

土地の借り手があった時代は良かった。そのおかげで千明も裕福な環境で育ち、東京の名門私立大学に入ることができた。ところが、時代が進むにつれ、田舎の駅前は人通りが少なくなり、連なっていた商店は歯が抜けるように店を閉めていった。そして、今や駅前商店街はシャッター通りと化し、寒々としている。

こうして千明の実家の土地は、全て借り手のないただの空き地となり、固定資産税だけが重くのしかかることになったのだ。

 

 コップの酒がもうなくなった。店員が気づき、「お酒?」と尋ねた。孝志は頷いた。

「冷やでいい?」

 孝志は熱燗より冷や酒が好きだった。余程寒い日以外は、酒は冷やの方がいい。

「焼き鳥ももらおうかな」

「若鶏?」

「うん」

「若鶏に冷や酒一!」

 店員が威勢良く叫んで、カウンターの中の男が「あいよ!」と応えた。

 酒はすぐ来た。孝志はこぼれないようにコップに口をつけて啜った。ここの酒はキリッとした辛口だ。 

 

 普通なら、今までなら、これだけの遺産があることを喜べた。

もし、土地が高く売れたなら、いや高くなくてもいい、例え安くても売れたなら、どれだけいいか。ところが、売れない上に持っているだけで税金が大きな負担になる。そんな遺産を引き継がざるを得ない。孝志も千明も。

だがそれは仕方ないこととしても、大きな問題があった。このままにしておいたなら、孝志と千明が引き継いだ財産を、未華子一人が相続することになる。そうなったら未華子は群馬と徳島の“財産”に押しつぶされる。未華子にこんな財産を引き継がせてはならない。絶対に。

そうならないように、未華子のために、今から準備する。

何をどうするか千明と一緒に考えた。

 

未華子のための財産整理プラン

できるだけ早くかからなければならない。

徳島と群馬の土地の処分だ。できれば売れるのがいい。いくらでもいい、誰もがビックリするほど安ければ飛びついて買う人がいるかもしれない。

この先、地価は絶対に上がらない。俺たちはそう思っているが、まだ、そう思っていない人がいる。そんな人にタダ同然のような価格で売る。

「先祖から受け継いだ土地を投げ売るようなマネをして」などと言う、親戚がいても相手にもしない。気にもしない。

 とにかく一坪でも手放せば、固定資産税が減るのだ。そんな考えで売るのだ。タダでもいいと言うぐらいのつもりだ。だから、固定資産税評価額が一坪二〇万円の土地を、坪一万円で売り出してもいい。そうすれば買い手がつくかもしれない。少しでも高く売ろうなどと一切考えない。とにかく手放すのが目的なのだ。土地の管理義務や固定資産税の納付義務から逃れる。それが目的なのだ。

 しかし、それでも手放せないかもしれない。それならそれでもいい。残った土地の管理や、税の負担は自分らでやるしかない。だが未華子にはそんな負担は引き継がせない。そのためには……

未華子に相続放棄をさせる

相続放棄の手続きができるのは、俺や千明が死んだ後三ヶ月以内だ。家庭裁判所に届ければいい。簡単な手続きでできる。

仮に、俺が先に死ねば千明と未華子が相続放棄の手続きをする。そうすれば、徳島の土地や屋敷の管理責任はなくなる。もちろん納税義務もだ。これをやれば徳島の土地は国のものになる。だが別に構わない。誰も困らない。

俺の持っている優良な財産は全て現金に換え、生きている間に未華子名義の口座に入れておく。もちろん贈与税の課税対象にならない方法でだ。

つまり、未華子が引き継いでいい財産はこっそり未華子名義にしておき、いらない財産だけ俺の名義で残して、これを相続放棄させるというやり方だ。千明が死んだ時も同じように未華子は相続放棄の手続きをとる。もちろん千明の優良な財産は先に未華子名義に換えておく。

 明日から準備する。不良資産をいくらでもいいから現金に換える。とにかく不良資産を処分するのだ。

まずは千明の実家からだ。幸か不幸か千明の両親は亡くなっている。だから気兼ねなく処分できる。

 問題は徳島の財産だ。処分するとなると、母の反発があるだろう。だが、母の気持ちより未華子の未来を優先する。当たり前のことだ。

未華子に徳島の土地を背負わせるわけにはいかない。あのただ広い土地の所有権を持つことに何の意義があるというのだ。

 故郷? 生まれ故郷? そう俺のだ。だから俺が生きている間だけは、しかたないから俺が持つ。だが未華子とは縁を切ってもらう。未華子に重荷は背負わせない。未華子は徳島と縁を切らせる!

 

 いつの間にか焼き鳥がきている。コップの酒はもう少ししかない。孝志は残りの酒をグイッと飲み干した。

 まだ飲み足りない。孝志は空のコップを掲げるようにして店員に見せた。

「冷や酒追加!」

 途端に店員の大きな声が店の中に響いた。

 

 

 

 

 

 

           了

 

相続の行方

高木 純

カウンター